そういえば、十年以上も前に
ここで出会った友人なのだった。

のれないほうですね。

意味不明

2019年7月8日 その他
あたまのわるそうなひとは
きらいです
お肌に厳しく、自分に甘く。
将来の目標はカッコいいババアです。
振り落とされると、一気に老けそう。

家の中の乙女

2019年6月17日 恋愛
にじり寄りの話は楽しくないので(おもに私が)、もっと楽しいことを書こう、そうしよう。

精神の加齢

2019年6月15日 その他
人の振り見て我が振り直せ、って気持ちです。
最初の結婚とその後の事実婚経過して、もう結婚はしないと思っていた。
けど再婚してよかったのは、年齢のせいもあるのかもしれないけど、恋愛沙汰が家庭内に収まるので、社会的活動が恋愛に振り回されなくてすむ、ということ。
なので、ミッチーがアタックしてくるレベルのことが起こらない限り、不倫はしないと思います。
不倫してる人を否定するわけではないけども、わたしには今さしあたって、その必要がないって話。
わたしなぞは一生、大人になれない気もする……。

きらいなタイプ

2019年5月28日 恋愛
卑屈な人。
もともと鼻っ柱の強いタイプが好きなんだけど、それとは対極のタイプだからか。

唐突に

2019年5月18日 恋愛
戻ってまいりました。
王様の耳はロバの耳―!
虐待の記憶をうっかり箱から出しすぎて、にっちもさっちもいかない日々です。
幼稚園に入る前から虐待されていたので、本の中の世界に行きたいと、いつも思っていた。名作と言われる絵本や児童書が、家に大量にあったのには救われた。

この絵本は森の背景も地面も黒で、かなり死の気配が濃厚なのだけれど、そういう静かな世界に行きたいと、ずっと願っていた。

初対面の相手と、適度に礼節を以って接し、分けられるものはシェアする、というストーリーも好ましかった。

『若草物語』は、末妹の行動で怒る姉に、「毎日じゃないだけ、いいよね」「しかも結局、謝ってくれるし」という、なにか間違った感想を持っていた。そしてそのうちに、そういうことを考えなくていいSFにのめり込んでいったのだった。
中学・高校のころ、自宅で入浴するのがイヤだった。入浴しようとすると、イヤだと言っているのにあの人が一緒に入ってきたり、すでに性的なことがわかる年頃の弟と一緒に入浴させられたりしたからだ。

いつ、あの人たちが入ってくるかわからないので、髪の毛を洗うという視界が制限されることができなくて、入浴しても髪が洗えない、という、今から思えば精神疾患状態になっていた時期もあった。ほんと、よく発症しなかったなと思う。

その手の性的虐待で言えば、クリスマスプレゼントに家族全員の前で、初ブラジャーをプレゼントされたこともあった。あの人にスポイルされて、わたしをバカにしていいと思っているきょうだいが笑いながら、「胸ないのにブラだって〜」と言い、あの人が「着ければ生えてくるかもしれないでしょ!」と言っていた。今、思い出しても最低だ。ほんとにイヤなクリスマスだった。
中学・高校時代に、ばんばん捨てられた漫画のなかで、児童書のような見た目だったので生き残った本。今は筑摩から出ているんですね。

鬱屈してたからか、ガロ系の漫画をよく読んでいたなあ。丸尾末広を読むことで、ストレス解消していたり。

そして、そういう趣味の友達や、趣味はぜんぜん違うけどなぜか友達、な人たちがいてくれたので、わたしは生き延びることができた。

今も付き合いがある、中学で一緒だった友達は、自分は漫画を描かないのに、わたしが東京時代の友達と同人活動を続けるために、住所を貸してくれたりもした。

血族との縁は薄いが、そういう助けがちょこちょこあった点で、わたしは運がよかったと思っている。
いつものように。
夏になると思い出すあの言葉。

「女の子を育てるのは苦手なのよね」

実家にいた頃、夏になると、あの人は孤児院から男の子を一人か二人、ホームステイさせていた。中学や高校になっていた私は、知らない男子と暮らすのがイヤで、せめて女の子だったら、と思って、言葉を選んで聞いてみた。

「女の子はホームステイさせないの?」

その返事が、冒頭のそれである。まだ成人していない、養育義務のある娘に対して、よく面と向かってそういうことが言えるものだ。

こういったことから、少しずつ信頼や愛情も毟り取られていくと、思わなかったのだろうか。いや、もともと信頼も愛情もなかったか。あるとすれば、愛着くらいで。
なんだか、いやがらせが夫にまで及んで来たような気がする。

それともボケてきたのか、あるいはそれを装って連絡させようという魂胆か。

ま、放置しますけどね。
今も残る虐待の痕
幼稚園のころだったか、もう小学校に進学していたかよく覚えてないけど、左手首内側に、鉛筆を突き立てられて、その芯が残ったまま、ちょっと皮膚が盛り上がってる。当時、もちろん病院になんて連れて行かれなかった。消毒用アルコールで拭かれて、バンドエイド貼って終わり。

あまりにショックだったのか、記憶がまだらで、血が出たかどうかとか、まったく覚えていない。

ただ、言って聞かせるスキルがないからって、抵抗しても限度がある小さい子どもに、よくまあ毎日毎日、こういうことができたなと思う。自分にも同じ性向が引き継がれていたら困るので、わたしは早々に子どもを持たない人生を選んだ。
小学校中学年ごろだったか、夏休みの自由研究で、布製のバッグを作ろうとしたことがあった。わたしはバッグ両側にフリルをつけたかったのだが、なぜか布自体を波形に裁断され、泣いて抗議したけれど、
「じゃあ、どうしたいの?」
という言葉はなく、
「うるさいわね、これでいいの!」
と言われ、わたしの感覚からすればダサいことこのうえない作品を無理やり作らされ、出品させられた。

一事が万事、そういう感じ。こちらの意向は聞かれない。言っても却下される。そんなことが続けば、親子の信頼関係なんて築けるわけない。

そもそも幼稚園に入る前から、やらされている=やってあげてる、はずのピアノのお稽古で、連日、間違えると怒鳴られ叩かれ抓られ蹴られ、竹の定規で叩かれ、間違えた指に待ち針を刺されていて、恐怖と不信感がベースの親子関係だったのだから。

ちなみに右利きで、左手のほうがよく間違えたので、今も左手にはかすかにあちこち傷がのこる。手首には鉛筆で刺されて、芯の一部が残ったまま盛り上がっているところも。

小さい頃は、生きていけないから従うしかなかったけど、今は、もう違う。

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