「清く正しく美しく」あれ、日本人。
そう思って泣けた、「日本沈没」でした。
「日本沈没」を見てきました。
感想を書きたいと思います、ガッツリねたばれ〜。
まず。
ふたりの大和撫子に、カンパイ。
大地真央さんと、柴咲コウさんの姿はまさしく「清く正しく美しく」だった。
大地真央さんは、いわずとしれた宝塚の元トップスター。
その彼女の立ち姿─やっぱり宝塚スターの立ちっぷり、歩きっぷりは、さすがだ、と思った。
これは、「踊る」の真矢さんにも、ドラマの天海さんにも通じるものがある。
大地さんは颯爽たる政治家を演じていて、その抑制の効いた物腰や感情表現が、意外や
意外、で、好演だった。
日本の絶望的な未来を予知する会議とその前後の場面。
この会議に辿り着くまでの彼女の苦悩と疲れが、大地さんのいつもピカピカしている肌が荒れ
て吹き出物まで出ている様に表れていて、感心した。
役作りか偶然か知らないけど。(笑)
彼女は、文部科学大臣にして危機管理担当大臣・鷹森。
総理大臣のいない政府を代表する事実上の司令官、未曾有の危機に立ち向かうこととなる。
というのも、日本のトップたる総理大臣が始まった早々に居なくなってしまうからだ。
この首相の外見のシルエットが、あまりに某小泉大臣に似ていて、しかも女性大臣(恐らく見栄えがして、マスコミに持て囃されていそうな)を擁しているところが、皮肉に見えた冒頭。
ただし、石坂浩二演じるこの総理大臣はあくまで誠実な政治家として描かれる。
映画の中のニセ某小泉総理大臣が言う「最後は心」ということば。
私には心がない、というか見えない某小泉総理大臣を皮肉ってるように、感じた。
こういう総理大臣像は、アジアのひとには受けないだろうな、じっくりと受け容れる前に見たくない
だろうな、と思った。
そして、彼の台詞の中の日本人論。
「『なにもしない』というのが、日本人にとって一番しっくりくると思う」
この言葉が、この映画を貫く裏テーマになったと思う。
「ひとりでも救いたい」と言う鷹森と相反するようでいて、実は背中合わせな考え。
「自分はもうなにもしなくてもいい、このまま滅びよう」
「だけれど、僕の(私の愛する)みんなが救われるといい」
綺麗事でなく、そう思う心。
それが、ゆっくりと動き出す映画。
この日本人の姿に「清く正しく美しく」たれ、というメッセージを感じた。
柴咲コウ演じる玲子の登場シーンはかっこいい。
呆然と地震現場にいた小野寺(草なぎ剛)と美咲(福田真由子)の前にヘリコプターから
降り立つ。
「怪我はないですか」
その後の、剛とのシーンや雰囲気は柴咲コウの役はドラマ「GOOD LUCK」の役柄とかぶる
かなー、と思った。
彼女は強くて威勢がいいけれど、実に女の子で綺麗だ。
まっすぐで傷を持っていて、思いやりがある。
小野寺でもなくとも、惚れるな・・・・。
さて、男たちは、というと。
日本沈没の時期を読み取る博士、田所(豊川悦司)。
エキセントリックで憎めない、妙にチャーミングな科学者。
潜水艇の操縦士、小野寺(草なぎ剛)と結城(及川光博)。
自分たちの技術力に自信を持っているけれど、飄々としながら仕事が好きで日常を愛している。幾人かの男たちは権力的に描かれるが、みんなが声高に自らの存在を唱えず。
熱心に働きながら、友人や知人や家族を愛している。
ごく平均的で、善良な市民であり日本人であり、男だ。
次々に地震が起き、たっぷりと湿度をもってみずみずしく絵に描いたような(だって、そらそうだもの)、美しい日本がくずれていく。
日常が、くずれていく。
映画の中の日本人達は、パニックを起こして、様々な場面で必死で生きようとしている。
日本を脱出し、捨てていく日本人たちは恵まれているのだろう。
ただ、それが皮肉に見えない、醜く見えない。
数人の権力者が特権階級として飛行機に乗り込む姿だけが、まるで敗残者のようにみっともなく
見えたけれど、難民として船に乗り飛行機に乗り込む人々は醜く見えない。
彼らもまた、国を亡くす民であること、知らない国で生きていかねばならないこと、それをどこか、
温かく見ている視点がある。
この映画の特撮だとかCGを見ていて、実に浪花節というか、日本的なものを感じた。
昔からの、ゴジラとか旧・日本沈没、などの特撮映画に通じるものがあるのだろうか。
シャープさより、なま温かさやなまぬるさ、を感じた。
そこが、実に日本的でそこが日本人の美学を描いているように思えた。
生温かさやなまぬるさ、というのは、「日本沈没」のメカニズムにもいえることで。
私はあのプレートの説明を見るたびにお肌のトラブル・にきびなんぞを思い出したり
しちゃうのだが(笑)、高校時代地学部に在籍して、地層の話や地震の話を聞いていたり、
八ミリ映画を見たことを思い出して、やけに懐かしくなった。
懐かしくなった、などと書いたら怒られそうだけれど、そういえば、私の十代のころまでは、
大地震はどこか絵空事だったのだなあ、と思った。
田所博士の豊川さんは、髪を振り乱しつつ、実に愛嬌があるんだけれども、なぜか
鷹森大臣の元夫ってのも、どうなの、っていう設定なんだけども、この豊川・大地コンビも
なかなかいいんだな〜。(笑)
で、この田所博士は日本沈没のメカニズムを解いて見せていたら、ほんとにあっというまに
予言が当たってしまい。「一気呵成」とかいう言葉が、やけに気持ちよく心に残ったりなんか
した。(あ、脱線)
よくよく考えると、ご都合主義だなあ、と思うし、またラストに向かっての「日本沈没を最小限
にとどめろ」大作戦、だって、えーっ?!えーっ?!とか思うのだけど、この映画としては、
それでいいんだなあ〜、と思った。
その方が気持ちいいもの。
コウちゃんと剛があの大変な日本列島をガシガシ元気に駆け抜けたって、愛するものやひと
のためなら、とも思うし。今だからこそ、信じたいこともある。
実際に災害に遭った方にとって、どう見えるだろう?
と思うけれど、この映画の中の日本人のようにいられればいいな、と思う。
実になま温かく、なまぬるいのだけれど。
剛の演じる小野寺。
実に、よかった〜。
素晴らしかった。
日本沈没を知って、普通にイギリスに行こうと思っていて、コウちゃんのことも好きだから、
誘うのだけど拒否されてしまい、イギリスに渡るまで迷いながら、心配な家族や友だちを
思いやったり心を尽くしたりしてだんだんと、変わっていく。
実にまた、周囲の日本人が素晴らしいんだなあ。
そして、仲間がいなくなってしまい、自分はどうやら日本を救うことができるかもしれない。
・・・というわけなんだけども、コウちゃんとのシーンが実によくて、私の期待は大いに報われ
て、私はとってもとっても感激、嬉しかった。
ふたりの夜。
その時の剛を斜めから陰影をもって映し込み、光をまとわせる。
手指、そこから伸びる腕、背中。
露出しているわけでもないけれど、鳩尾と腰の後ろ側がゾクゾク、っときた。
驚いたーっ。
剛でこんなのがクルとは思わなかった。
いつから、こんなに色気が出るひとになったんだろう。
この場面で思った。
ああ、樋口監督は剛を好きになってくれたんだなあ、って。
剛はいい仕事できたんだなあ、って。
抱く腕、上半身・・・・・。
・・はあ、うっとり。
監督が見蕩れて、「カット」の声を掛け損なったのがわかるわぁ。
と、ここまで書いててなんですけども、露出的とか直接的な場面ではありません
ので、悪しからず。(くすくす)
ああ。ここまでネタバレしちゃっていいのかなー。
ラストはもうね・・・・すごいなあ、ここまでくると、っていう。
「インディペンデンス・デイ」だよ、と言われれば確かにそうだ。
これ、原作・映画・ドラマとは全く違うわけなんですが、公開時期を考えると、
皮肉ですね。今、のほうが救いようがないかと思ったら、こうだもの。
もう、いいんです。
この映画は「清く正しく美しく」。
ご都合主義で。
でね、今日つらつらと考えて思いました。
この映画って、小野寺の最期の走馬灯の意識なんじゃないか、って。
だから、こんなにも日本も日本人もなま温かく、なまぬるく、美しく、いとおしい。
それから。
もうひとつの妄想。
この映画のちょっとした悪党、内閣官房長官。
国宝を外国にうっぱらって、それを船に載せていて「国宝の代わりに何人のひとが乗れると思う
んすか」なぞと鷹森に言われて「外国の受け入れ数(絶対的に国民数からいって足りていない)が今のままでも大丈夫だ。死亡者・行方不明者まで運ぶ必要はなくなるからな。外国脱出者の数と合って来る」とか言い放つ冷血漢。
彼の裏バージョン「日本沈没」。
彼の行き方もまた、日本を助ける手立て、ではある。
彼は確信的に、汚れ屋を担っている。
「俺が後世、売国奴、と呼ばれることなどどうでもいい。日本の文化、歴史、能力、・・・・いのち。
どれだけ高くうっぱらえるか、それが俺の日本人としての務めだ。」
「俺が汚れれば汚れるほどに鷹森は、高められていく。それで、いい。日本国民は、生き残った
日本国民は誰かを憎み、そして誰かによすがを求めねばならないのだから」
そうやって、アメリカにも中国にも、ロシアにも・・・・どこの国にでも這いつくばって交渉する。
・・・こんなのどお?(笑)
いやあ、語っちゃったな・・・・・。
ツッコミどころは満載だろうし、好き嫌いは絶対的にありそうだけれど、私は好きですよ。
このなまぬるさ。(笑)
そして、剛は素晴らしい。
ひとを好きになること、それが一番大事。
いいなあ。
改めて、声の素晴らしさも再確認できましたし、前半の受けの演技から、あの、
ふたりの夜のシーンと、飛行場のシーン。
(偽)アニキ・・・おとなになりましたね。
実に感慨深い、です。
・・・・はあ、ため息。
でねえ、ほんっと、中居さん映画出なきゃだめよ、また。
映画はええわー、やっぱり!!
ちなみに、見に行った映画館は、新京極にある古い映画館。
まだ、踏みとどまっていたかー!と嬉しくなったよ。
名前も変わったし、改装したけど、狭くてね。
学生の頃のサークルでずーっと代代アルバイトをしてた映画館。
懐かしかった。
あってくれて、ほんとに。
そう思って泣けた、「日本沈没」でした。
「日本沈没」を見てきました。
感想を書きたいと思います、ガッツリねたばれ〜。
まず。
ふたりの大和撫子に、カンパイ。
大地真央さんと、柴咲コウさんの姿はまさしく「清く正しく美しく」だった。
大地真央さんは、いわずとしれた宝塚の元トップスター。
その彼女の立ち姿─やっぱり宝塚スターの立ちっぷり、歩きっぷりは、さすがだ、と思った。
これは、「踊る」の真矢さんにも、ドラマの天海さんにも通じるものがある。
大地さんは颯爽たる政治家を演じていて、その抑制の効いた物腰や感情表現が、意外や
意外、で、好演だった。
日本の絶望的な未来を予知する会議とその前後の場面。
この会議に辿り着くまでの彼女の苦悩と疲れが、大地さんのいつもピカピカしている肌が荒れ
て吹き出物まで出ている様に表れていて、感心した。
役作りか偶然か知らないけど。(笑)
彼女は、文部科学大臣にして危機管理担当大臣・鷹森。
総理大臣のいない政府を代表する事実上の司令官、未曾有の危機に立ち向かうこととなる。
というのも、日本のトップたる総理大臣が始まった早々に居なくなってしまうからだ。
この首相の外見のシルエットが、あまりに某小泉大臣に似ていて、しかも女性大臣(恐らく見栄えがして、マスコミに持て囃されていそうな)を擁しているところが、皮肉に見えた冒頭。
ただし、石坂浩二演じるこの総理大臣はあくまで誠実な政治家として描かれる。
映画の中のニセ某小泉総理大臣が言う「最後は心」ということば。
私には心がない、というか見えない某小泉総理大臣を皮肉ってるように、感じた。
こういう総理大臣像は、アジアのひとには受けないだろうな、じっくりと受け容れる前に見たくない
だろうな、と思った。
そして、彼の台詞の中の日本人論。
「『なにもしない』というのが、日本人にとって一番しっくりくると思う」
この言葉が、この映画を貫く裏テーマになったと思う。
「ひとりでも救いたい」と言う鷹森と相反するようでいて、実は背中合わせな考え。
「自分はもうなにもしなくてもいい、このまま滅びよう」
「だけれど、僕の(私の愛する)みんなが救われるといい」
綺麗事でなく、そう思う心。
それが、ゆっくりと動き出す映画。
この日本人の姿に「清く正しく美しく」たれ、というメッセージを感じた。
柴咲コウ演じる玲子の登場シーンはかっこいい。
呆然と地震現場にいた小野寺(草なぎ剛)と美咲(福田真由子)の前にヘリコプターから
降り立つ。
「怪我はないですか」
その後の、剛とのシーンや雰囲気は柴咲コウの役はドラマ「GOOD LUCK」の役柄とかぶる
かなー、と思った。
彼女は強くて威勢がいいけれど、実に女の子で綺麗だ。
まっすぐで傷を持っていて、思いやりがある。
小野寺でもなくとも、惚れるな・・・・。
さて、男たちは、というと。
日本沈没の時期を読み取る博士、田所(豊川悦司)。
エキセントリックで憎めない、妙にチャーミングな科学者。
潜水艇の操縦士、小野寺(草なぎ剛)と結城(及川光博)。
自分たちの技術力に自信を持っているけれど、飄々としながら仕事が好きで日常を愛している。幾人かの男たちは権力的に描かれるが、みんなが声高に自らの存在を唱えず。
熱心に働きながら、友人や知人や家族を愛している。
ごく平均的で、善良な市民であり日本人であり、男だ。
次々に地震が起き、たっぷりと湿度をもってみずみずしく絵に描いたような(だって、そらそうだもの)、美しい日本がくずれていく。
日常が、くずれていく。
映画の中の日本人達は、パニックを起こして、様々な場面で必死で生きようとしている。
日本を脱出し、捨てていく日本人たちは恵まれているのだろう。
ただ、それが皮肉に見えない、醜く見えない。
数人の権力者が特権階級として飛行機に乗り込む姿だけが、まるで敗残者のようにみっともなく
見えたけれど、難民として船に乗り飛行機に乗り込む人々は醜く見えない。
彼らもまた、国を亡くす民であること、知らない国で生きていかねばならないこと、それをどこか、
温かく見ている視点がある。
この映画の特撮だとかCGを見ていて、実に浪花節というか、日本的なものを感じた。
昔からの、ゴジラとか旧・日本沈没、などの特撮映画に通じるものがあるのだろうか。
シャープさより、なま温かさやなまぬるさ、を感じた。
そこが、実に日本的でそこが日本人の美学を描いているように思えた。
生温かさやなまぬるさ、というのは、「日本沈没」のメカニズムにもいえることで。
私はあのプレートの説明を見るたびにお肌のトラブル・にきびなんぞを思い出したり
しちゃうのだが(笑)、高校時代地学部に在籍して、地層の話や地震の話を聞いていたり、
八ミリ映画を見たことを思い出して、やけに懐かしくなった。
懐かしくなった、などと書いたら怒られそうだけれど、そういえば、私の十代のころまでは、
大地震はどこか絵空事だったのだなあ、と思った。
田所博士の豊川さんは、髪を振り乱しつつ、実に愛嬌があるんだけれども、なぜか
鷹森大臣の元夫ってのも、どうなの、っていう設定なんだけども、この豊川・大地コンビも
なかなかいいんだな〜。(笑)
で、この田所博士は日本沈没のメカニズムを解いて見せていたら、ほんとにあっというまに
予言が当たってしまい。「一気呵成」とかいう言葉が、やけに気持ちよく心に残ったりなんか
した。(あ、脱線)
よくよく考えると、ご都合主義だなあ、と思うし、またラストに向かっての「日本沈没を最小限
にとどめろ」大作戦、だって、えーっ?!えーっ?!とか思うのだけど、この映画としては、
それでいいんだなあ〜、と思った。
その方が気持ちいいもの。
コウちゃんと剛があの大変な日本列島をガシガシ元気に駆け抜けたって、愛するものやひと
のためなら、とも思うし。今だからこそ、信じたいこともある。
実際に災害に遭った方にとって、どう見えるだろう?
と思うけれど、この映画の中の日本人のようにいられればいいな、と思う。
実になま温かく、なまぬるいのだけれど。
剛の演じる小野寺。
実に、よかった〜。
素晴らしかった。
日本沈没を知って、普通にイギリスに行こうと思っていて、コウちゃんのことも好きだから、
誘うのだけど拒否されてしまい、イギリスに渡るまで迷いながら、心配な家族や友だちを
思いやったり心を尽くしたりしてだんだんと、変わっていく。
実にまた、周囲の日本人が素晴らしいんだなあ。
そして、仲間がいなくなってしまい、自分はどうやら日本を救うことができるかもしれない。
・・・というわけなんだけども、コウちゃんとのシーンが実によくて、私の期待は大いに報われ
て、私はとってもとっても感激、嬉しかった。
ふたりの夜。
その時の剛を斜めから陰影をもって映し込み、光をまとわせる。
手指、そこから伸びる腕、背中。
露出しているわけでもないけれど、鳩尾と腰の後ろ側がゾクゾク、っときた。
驚いたーっ。
剛でこんなのがクルとは思わなかった。
いつから、こんなに色気が出るひとになったんだろう。
この場面で思った。
ああ、樋口監督は剛を好きになってくれたんだなあ、って。
剛はいい仕事できたんだなあ、って。
抱く腕、上半身・・・・・。
・・はあ、うっとり。
監督が見蕩れて、「カット」の声を掛け損なったのがわかるわぁ。
と、ここまで書いててなんですけども、露出的とか直接的な場面ではありません
ので、悪しからず。(くすくす)
ああ。ここまでネタバレしちゃっていいのかなー。
ラストはもうね・・・・すごいなあ、ここまでくると、っていう。
「インディペンデンス・デイ」だよ、と言われれば確かにそうだ。
これ、原作・映画・ドラマとは全く違うわけなんですが、公開時期を考えると、
皮肉ですね。今、のほうが救いようがないかと思ったら、こうだもの。
もう、いいんです。
この映画は「清く正しく美しく」。
ご都合主義で。
でね、今日つらつらと考えて思いました。
この映画って、小野寺の最期の走馬灯の意識なんじゃないか、って。
だから、こんなにも日本も日本人もなま温かく、なまぬるく、美しく、いとおしい。
それから。
もうひとつの妄想。
この映画のちょっとした悪党、内閣官房長官。
国宝を外国にうっぱらって、それを船に載せていて「国宝の代わりに何人のひとが乗れると思う
んすか」なぞと鷹森に言われて「外国の受け入れ数(絶対的に国民数からいって足りていない)が今のままでも大丈夫だ。死亡者・行方不明者まで運ぶ必要はなくなるからな。外国脱出者の数と合って来る」とか言い放つ冷血漢。
彼の裏バージョン「日本沈没」。
彼の行き方もまた、日本を助ける手立て、ではある。
彼は確信的に、汚れ屋を担っている。
「俺が後世、売国奴、と呼ばれることなどどうでもいい。日本の文化、歴史、能力、・・・・いのち。
どれだけ高くうっぱらえるか、それが俺の日本人としての務めだ。」
「俺が汚れれば汚れるほどに鷹森は、高められていく。それで、いい。日本国民は、生き残った
日本国民は誰かを憎み、そして誰かによすがを求めねばならないのだから」
そうやって、アメリカにも中国にも、ロシアにも・・・・どこの国にでも這いつくばって交渉する。
・・・こんなのどお?(笑)
いやあ、語っちゃったな・・・・・。
ツッコミどころは満載だろうし、好き嫌いは絶対的にありそうだけれど、私は好きですよ。
このなまぬるさ。(笑)
そして、剛は素晴らしい。
ひとを好きになること、それが一番大事。
いいなあ。
改めて、声の素晴らしさも再確認できましたし、前半の受けの演技から、あの、
ふたりの夜のシーンと、飛行場のシーン。
(偽)アニキ・・・おとなになりましたね。
実に感慨深い、です。
・・・・はあ、ため息。
でねえ、ほんっと、中居さん映画出なきゃだめよ、また。
映画はええわー、やっぱり!!
ちなみに、見に行った映画館は、新京極にある古い映画館。
まだ、踏みとどまっていたかー!と嬉しくなったよ。
名前も変わったし、改装したけど、狭くてね。
学生の頃のサークルでずーっと代代アルバイトをしてた映画館。
懐かしかった。
あってくれて、ほんとに。