コンピューターはツールです。あくまでも、人間の生み出した道具です。そう、はさみや鉛筆と同じです。

さて、「そんなことはわかっているよ」と思える人は問題ないのですが、どうも、そうは思えない人がいるのも事実のようです。

システムエンジニアの方とお話しする機会がありまして、その時、「コンピューターは道具だよね?」と聞かれ、「そうでよね」と答えると、「そう思っていない人がいるから」みたいな話をしていただきました。

コンピューターは便利です。特に、インターネットにつながったコンピューターは、便利すぎます。

便利すぎて、道具であることを忘れてしまい、何か特別な存在だと思い込んでしまう傾向があるようです。

まず、コンピューター上のコミュニケーションですが、コンピューターに向かっていると、電話と同じように、コンピュータの向こう側に人間がいることを忘れてしまいがちです。
これは、コンピューターが、長い間コミュニケーションツールではなかったからでしょう。

コンピューターは、人間が与えた処理を、高速に処理するだけのものであった時代の方が長いのです。
本来のコンピューターは、自分に服従するものなのです。

最近は、インターネットのために購入している人も多いようですが、それでも、コンピューターは、人間が与えた処理を、高速に処理するために購入するのです。

また、家庭で初めて触ったコンピューターが、ファミコンである人も、少なくないはずです。

さらに、インターネットにおけるホームページも、ほとんどが、閲覧専用のページです。

これが、何を示すのかと言いますと、コミュニケーションツールとして利用できるコンピューターも、実は、人間が与えた処理を、高速に処理するためのツールである部分の方が大きいと言うことです。

その中で、ホームページの作製や掲示板の利用は、コンピューター上で行うコミュニケーションです。

電話は、相手がいなければ、存在価値はほとんど0です。
また、聴覚で、相手を直接的に認識することができます。
したがって、電話はコミュニケーションツールとして認識するのです。

しかし、コンピューターは違います。コミュニケーションツールとしての認識よりも、高速演算装置としての認識の方が強いのです。
五感で感じることもできません。

したがって、コンピューターの向こうにいるはずの人間を意識できないのです。

意識できないため、相手を気遣えない、または、自分しか見えない自分勝手な存在になってしまうのです。

と、こんな見解は、もう過去のものなのかもしれません。今は、さらにもう一歩先に進んでいる。そんな気もします。その内容については、また後日。

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