食事中の方がおられましたら、食事が終了してお読みください。若干汚い表現が含まれます。

少し前、「もったいない」という言葉が話題になりました。
さらに、先日新幹線に「MOTTAINAI」というポスターが貼ってありました。

諸外国には無いそうですね。そういう言葉。

私も、ジーニアスで簡単に調べてみましたが、私がイメージする「もったいない」に合致する英単語はありませんでした。

以前、ジャスミンさんに頂いたコメントにこんな話がありました。

難しい話はわからないけどね、以前、新聞の記事でこんなこと言ってました。

『日本人は自分のコンピューターに名前をつけて、挨拶までしている。
そして壊れたコンピューターを捨てられずにいる。
壊れたコンピューターをどうして捨てられない?
もう使えないもなら、ただのゴミだろう。
どうして日本人はただの道具に愛着を持つのだろう?
日本人はロボットにまで名前をつけて、一緒に生活をし、
ともに笑い泣いたりし、友達のようにロボットと一緒にいる。
なんだか理解に苦しむよ。』

というのがアメリカ人の評論家のような人が言ってました。


なにも、これはコンピュータに対することだけではなく、全てのモノに対して言えることだと思います。

日本人は、「モノを大切にする」、それも、壊れて、使えなくても大切にしてしまう、そんな傾向があるようです。

昔から、「もったいない」の他にも、「百鬼夜行」という言葉があります。これは、まだ使えるのに、捨てられた道具達が妖怪となって町を行脚するというもの。(簡単に調べた結果、実はこの見解は違うかもしれないので、あまり信用しないでください。)

実際、私は、親や先生から、「もったいない、もったいない」と言われ続けて育ちました。
祖母が亡くなって、家を片付けたとき、ありえないようなものが次々と出てきました。
それを見るたびに、「こんなもの捨てれば良いのに…」と思いました。
しかし、両親は、そんなことを言っている私に、「昔は物が無かったから、何でもとっておく癖があるんだよ。」と。

でも、これこそが、正に「もったいない」なのです。

何事にも限度と言うものがありますが、それでもモノを大切にすることは大切です。

昔はよく、「もったいないおばけがでるぞー」と言われたものです。

本来、日本人は、究極のリサイクル生活を送っていました。

鯨をとってみてもそうです。捨てるところは無かったそうです。
また、下に関してもそうです。肥溜めに溜めておき、畑に撒いて肥やしにする。
究極の循環型リサイクル社会が実現していたのです。

また、日本製のもの、特に自動車はその典型的例だと思いますが、とても持ちが良いです。
和服や和紙、日本家屋と、とにかく、その物持ちの良さには、驚かされます。

これは、今まで、日本人が、その一時的な機能よりも、より長持ちするものを作るために、技術開発をし続けた結果だと思います。

1つのモノを長く使う、国民性がそうであったために、そうあれたのだと思います。

しかし、どうも最近はそうでなくなってきている。そんな気がします。
その影には、高度経済成長期の大量生産、大量消費があることは言うまでもありません。

実際、「もったいない」という言葉を聞いたのも、すごく久しぶりだった気がします。

なにもかも、まだ壊れてもいないのに、買い換えてしまう。
そして、簡単にモノが壊れてしまう。

確かに、便利になりました。でも、簡単にモノを捨ててしまう。そんな生活をしています。

悲しいことだなと思いました。

以上、期待を裏切る最低のこころのブログでした。

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